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セックス後に薬を飲めば性病予防できる?Doxy-PEPの真実
セックス後に薬を飲めば性病予防できる?Doxy-PEPの真実
ある夜、常連の患者さんから「先生、アメリカで話題になっているらしいんですが、性行為の後に抗生物質を飲めば性病を予防できるって本当ですか?」と質問されました。
彼はナイトワークに従事されていて、週に何度も不特定多数の相手と性的接触があります。これまで何度か淋菌やクラミジアに感染し、その都度治療を受けてきました。「また感染するんじゃないかと、いつも不安なんです」という彼の言葉には、切実さがありました。
彼が言っているのは、おそらく「Doxy-PEP」のことです。正式には「Doxycycline Post-Exposure Prophylaxis」——ドキシサイクリンという抗生物質を使った、性行為後の予防投与を指します。
確かに、海外では大きな注目を集めています。しかし、その「真実」は、想像以上に複雑なものでした。
Doxy-PEPって、そもそも何なのか?
まず、専門用語をかみ砕いて説明します。Doxy-PEPというのは、「性行為の後72時間以内に、ドキシサイクリンという抗生物質200mgを1回服用する」という予防法です。
イメージとしては、HIVのPEP(暴露後予防)に近いものがあります。HIVに感染したかもしれない性行為や針刺し事故の後、72時間以内に抗HIV薬の服用を開始して感染を防ぐ方法ですが、それと同じ考え方で、細菌性の性感染症を予防しようというわけです。
ドキシサイクリンは、テトラサイクリン系の抗生物質で、幅広い細菌に有効です。ニキビ治療やマラリア予防にも使用される、比較的ポピュラーな薬剤です。
本当に効果があるのでしょうか?データを見てみます
「そんな簡単に予防できるなら、みんな使えばいいじゃないか」と思われるかもしれません。しかし、医学というのは、そう単純なものではありません。実際のデータを見ていきましょう。
梅毒への効果——かなり期待できる結果です
まず、梅毒についてです。2023年にNEJMに発表された大規模臨床試験(DoxyPEP試験)では、Doxy-PEPによって梅毒の発症が約87%減少したことが報告されました1。これは非常に高い数字です。
実際、私の診療でも梅毒の患者さんは増加傾向にあります。2022年以降、日本でも梅毒報告数が急増しており、特に若い世代やナイトワーカーの間で広がっているのが現状です。ですから、87%も減らせるというのは、確かに魅力的に見えます。
クラミジアへの効果——こちらも良好な結果です
クラミジアに関しても、同じDoxyPEP試験で約88%の減少が報告されています1。クラミジアは症状が出にくい性感染症ですから、知らないうちに感染していることも多いです。それを予防できるというのは、確かに有用性がありますよね。
淋菌への効果——ここに課題があります
しかし、淋菌については状況が異なってきます。
DoxyPEP試験では、淋菌の発症は約55%の減少にとどまりました1。なぜでしょうか。それは、淋菌がドキシサイクリンに対して耐性を持ちやすいからです。
実際、日本を含む多くの国で、淋菌のドキシサイクリン耐性率は非常に高くなっています。つまり、Doxy-PEPを使用しても、淋菌には効果が期待できないケースが多いということです。
「それでは先生、処方してください」と言われました
その患者さんは、説明を聞いた後、こう言われました。「それでも、梅毒とクラミジアが予防できるなら十分です。処方してください」と。
ここでいつも私は考えます。確かに、効果はあります。しかし、考慮すべき点はそれだけではありません。
薬剤耐性菌の問題——これが最も深刻です
抗生物質を頻繁に使用すると、耐性菌が増加します。これは医療界全体が直面している大きな課題です。
CDCやWHOは、抗菌薬の適正使用を強く推奨しており、不必要な抗生物質の使用は薬剤耐性を促進すると警告しています2,3。
特に、週に何度も性行為をされる方が、その度にドキシサイクリンを服用したらどうなるでしょうか。月に10回、20回服用することになります。すると、その方の体内の常在菌が耐性を獲得し、さらにそれが他の方に広がる可能性があります。
実際に、オーストラリアで行われた研究では、Doxy-PEP使用者において薬剤耐性菌の保有率が上昇したという報告があります4。
副作用のリスクについて
ドキシサイクリンは比較的安全な薬剤ですが、副作用がないわけではありません。
よくあるのは、胃腸症状——吐き気、下痢、腹痛などです。それから、光線過敏症があります。ドキシサイクリンを服用した後に日光に当たると、皮膚が赤くなったり、重症の場合は水疱ができたりすることがあります。
さらに、食道炎のリスクもあります。薬剤が食道に停滞すると、炎症を起こすことがあるのです。ですから、服用時は十分な水と一緒に、そして就寝直前は避ける必要があります。
日本ではまだ保険適用外です
もう一つ重要なのは、日本ではDoxy-PEPは承認されていないということです。
つまり、処方する場合は自費診療になります。そして、万が一副作用が起きた場合、医薬品副作用被害救済制度の対象にならない可能性があります。
日本性感染症学会のガイドラインでも、現時点ではDoxy-PEPについて明確な推奨は出されていません5。エビデンスは増えてきていますが、日本国内での使用にはまだ慎重な姿勢が取られているのが現状です。
それでは、誰がDoxy-PEPを使うべきなのでしょうか?
私は患者さんにこう説明しています。「すべての方におすすめできる方法ではないですよ」と。
米国CDCのガイドラインでは、Doxy-PEPの使用を推奨する対象として、「過去12ヶ月以内に細菌性STI(梅毒、淋菌、クラミジア)に罹患した男性同性愛者・両性愛者・トランスジェンダー女性」を挙げています6。
つまり、感染リスクが非常に高く、かつ実際に繰り返し感染されている方が対象ということです。
当院での考え方について
私たちのクリニックでは、Doxy-PEPを希望される患者さんには、まず以下のことを確認させていただいています。
- 性行為の時期
- テトラサイクリン系抗生物質のアレルギー歴
そして、薬剤耐性のリスク、副作用、保険適用外であることを十分に説明した上で、それでも希望される場合に、処方を検討します。
ただし、Doxy-PEPは「コンドームの代わり」ではありません。あくまで、コンドームを使用した上で、さらにリスクを下げる追加の手段です。そして、定期的な検査は必須です。Doxy-PEPを使用していても、完全に予防できるわけではありませんから。
実際の処方例——ある患者さんのケースをご紹介します
30代前半の男性で、週に3〜4回、不特定の相手と性的接触があります。PrEPでHIV予防は実施されていますが、過去1年で梅毒に2回、クラミジアに1回感染されました。コンドームは使用されていますが、オーラルセックスでは使用しないことが多いとのことでした。
この方には、メリットとリスクを十分に説明した上で、Doxy-PEPを使用してもらいました。用法は、性行為後24〜72時間以内にドキシサイクリン200mg(100mgカプセル2錠)を1回服用です。ただし、1日1回までとし、24時間以内に複数回性行為があっても、追加服用はしないようにしていただきました。
Doxy-PEPを使わない選択肢もあります
感染リスクがそれほど高くない場合は、抗生物質を定期的に服用するリスクの方が大きい可能性があります。それよりも、コンドームの適切な使用と、3ヶ月ごとの定期検査の方が、はるかに賢明な選択です。
実際、CDCも、Doxy-PEPはすべての方に推奨するものではなく、高リスク群に限定すべきだと明記しています6。
日本での今後——どうなっていくのでしょうか
これについては、現時点では不透明な部分が多いというのが正直なところです。
海外では、特に米国やヨーロッパの一部で、Doxy-PEPの使用が広がりつつあります。しかし日本では、まだ議論の段階にあります。
日本性感染症学会も、エビデンスを注視しながら、慎重に検討を進めています。薬剤耐性の問題、医療経済的な側面、そして日本特有の性感染症の疫学——これらすべてを考慮する必要があるからです。
数年後には、ガイドラインに明記される可能性もあります。あるいは、薬剤耐性の問題から、推奨されない方向になるかもしれません。現時点では、慎重に見守る必要があります。
患者さんとして、何ができるでしょうか
Doxy-PEPに興味がある場合は、まず専門医に相談してください。自己判断で個人輸入の薬剤を使用するのは危険です。
そして、基本を忘れないでください。
性感染症予防の基本は、今も昔も変わりません。
- コンドームの適切な使用(オーラルセックスも含めて)
- 定期的な検査(3ヶ月ごと、またはパートナーが変わるたびに)
- 早期発見、早期治療
- パートナーへの通知と治療
Doxy-PEPは、これらの基本に「追加」するものであって、「代替」するものではありません。
当院でできることについて
私たちのクリニックでは、Doxy-PEPについてのご相談を受け付けています。ただし、処方ありきではなく、まず患者さんのライフスタイル、感染歴、リスク要因を丁寧に聞き取らせていただきます。
そして、Doxy-PEPが本当に必要かどうか、他の方法の方が適切ではないか、一緒に考えていきます。処方する場合も、定期的なフォローアップと検査を行い、副作用や耐性菌のモニタリングを実施します。
海外のガイドラインでも、Doxy-PEP使用者には3ヶ月ごとの性感染症検査と、定期的な医学的評価が推奨されています6。これは安全性と有効性を担保するために不可欠です。
また、PrEPでHIV予防をされている患者さんには、Doxy-PEPとの併用についてもご相談いただけます。両方を組み合わせることで、包括的な性感染症予防が可能になるケースもあります。
夜間も診療していますので、お仕事の後でもご相談にいらしてください。性感染症のことは、一人で悩まず、専門家と一緒に考えましょう。
最後に——冷静に、そして前向きに
Doxy-PEPは、確かに革新的な予防法です。しかし、万能薬ではありません。
メリットもあれば、リスクもあります。向いている方もいれば、そうでない方もいます。
大切なのは、正しい情報を知った上で、ご自身に合った選択をすることです。そして、その選択を、医療者と一緒に考えることです。
性感染症の予防と治療は、決して恥ずかしいことではありません。ご自身の体を大切にする、責任ある行動です。
もし不安や疑問があれば、いつでもご相談ください。私たちは、あなたの健康を守るために、ここにいます。
参考文献
- Luetkemeyer AF, Donnell D, Dombrowski JC, et al. Postexposure Doxycycline to Prevent Bacterial Sexually Transmitted Infections. N Engl J Med. 2023;388(14):1296-1306. doi:10.1056/NEJMoa2211934
- Centers for Disease Control and Prevention. Antibiotic Resistance Threats in the United States, 2019. Atlanta, GA: U.S. Department of Health and Human Services, CDC; 2019.
- World Health Organization. Global Action Plan on Antimicrobial Resistance. Geneva: WHO; 2015.
- Roberts JL, Mirchandani M, Wand H, et al. The impact of doxycycline post-exposure prophylaxis for sexually transmitted infections on antimicrobial resistance: a systematic review. Lancet Infect Dis. 2023;23(12):e503-e511. doi:10.1016/S1473-3099(23)00297-4
- 日本性感染症学会. 性感染症 診断・治療 ガイドライン 2023. 日本性感染症学会誌. 2023.
- Centers for Disease Control and Prevention. Doxycycline Post-Exposure Prophylaxis (Doxy PEP) to Prevent Bacterial STIs: Guidance for Healthcare Providers. Updated October 2023.
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